第二回 山尾さんからのメッセージ


 そもそも私がオ-ストラリアへ行く事になったきっかけは、山形に向かう東北新幹線の指定席で、たまたま隣に居合わせたギリシャ人の言葉でした。 彼(ギリシャ人)がとても流暢な英語を話すので、どうやって英語を勉強したのか聞いた所、「短期間でもいいから何度も海外へ行って英語の環境に自分を置く事」という返事が返ってきました。「それにはずいぶんお金がかかるんではないか」という私の問いに、彼は「20―30万円で英語が話せるようになった、それは高いと思うか、安いと思うか」と言いました。「安い!」と思った私は、オ-ストラリアへ短期語学留学へ行く事を決意しました。3回生の夏休みを利用して5週間現地の大学付属の語学学校へへ行きました。
 そこで出会った日本人は皆ワ-キングホリデ-ビザで来豪していました。(私は短期なので観光ビザでした。)ワ-キングホリデ-ビザというのは現地で働く事が出来るビザなのですが、当時の私はそのビザの存在こそ知ってはいましたが、日本で働くのも大変なのに、海外で働くなんて私には難しすぎると思い込んでいました。しかし、ワ-ホリ(ワ-キングホリデ-)で来豪している日本人の英語のレベルがそれほど高くなく、またそれでも彼らは好奇心と夢に胸膨らませて来ている姿に「私にも挑戦できるかもしれない」と思いました。アホの思い込みは激しいです。卒論を書きながら、休みなしでバイトに明け暮れ、滞在費用の100万円を勤労の末手にし、2000年5月25日、アホはシドニ-空港へ降り立ちました。
 まずは予定通り、最初の5週間はホ-ムステイをしながら現地の語学学校へ行き、順調なスタ-トをきろうとした瞬間、いきなりベルリン並の壁にブチあたりました。良いクラスメ-トにあまり恵まれず(残念ながらあまり良くない日本人に翻弄され)、クラスでも孤独な日々が続きました。先生の話す英語はF15戦闘機のように速いし(後にこれは先生が生徒を試す為にわざとしていたという事を知りました。)、手渡された学生証の私の写真は変な顔だし、と滞在3日目にしてホ―ムシックにかかってしまいました。しかし、孤軍奮闘の末中国人の親友もでき、先生の英語にもなれ、笑顔で卒業式を迎える事ができました。
 さあ、ここからが本番です。卒業後、新居と働く場所を見つけなければなりません。
 新聞広告に毎週出される同居人募集の広告をみて電話し、現地の家を見に行き、何とか、卒業式ぎりぎりで新しいすみかを見つけられました。また、仕事は、イエロ-ペ-ジの「造園会社」欄に載ってる会社で、家から近い順に片っ端から電話をかけ、「私は日本から来て、製図の修行がしたいので面接してほしい」とお願いしまくりました。
 なぜ製図の修行なのかといいますと、大学時代製図が好きで、成績が良かったからです。また、言葉(英語)が不自由な分、現在自分が持ってる技術で勝負しなければならないので、言葉なしでも能力を発揮できる製図士という職業に目をつけました。自分の実力を証明する為に、在学時に授業で描いた製図を日本から持ってきていました。
 電話攻撃では、だいたい10社に1社位の割合で面接を承諾してくれました。1社目の面接は落ちましたが、幸運にも2社目の面接で働かせてもらえる事になりました。
 仕事の流れとしては、デザイナ―と共にクライアントの家へ行き、庭の要望を聞き、測量して、デザイナ―がスケッチした庭の絵をみて、図面をひくという手順でした。
 半年もすると、仕事にはなれましたが、少し物足りなさを感じ、管理部でメンテナンスの仕事をしたいとボスに申し出ました。その理由は、まず①すでに完成された美しい庭園を見る事が出来る、②実際に庭の管理に関わる事で、植物の名前や性質を勉強する事が出来る、という事からでした。
 ここで現地で働いた結果、私が必要だと思った事を端的に上げると、以下の通りです。
 植物の知識は必須。しかも名前は学名で覚えておかなければならない。
 コンピュ-タ-の技術は必須。CAD(2D&3D)が使えれば言う事なし。この2つは、是非在学中にマスタ-してほしい事です。樹木の西村五月先生がよく、「樹木名は学名で覚えニャ意味がないんじゃヨォ~」と言っておられましたが、その通りでした。この場を借りて先生に敬意を表します。ついでに、私がよく西村先生の物マネをして友達を笑かしていた事や山中式土壌硬度計の使用法の講義で、土穴に入った先生を埋めようとした事もこの場をかりて謝っておきます。
 オ-ストラリアで一年働いて得た事はここでは書き切れないくらい本当にたくさんあります。しかし、それらは決して楽しい事ばかりで得た事ではありません。
 ワ-ホリを100%と考えたら、80%が辛い事や苦労で、10%が普通で、残りの10%が本当に楽しかった事です。ほとんどが苦労で毎日が努力ばかりですが、楽しかった10%が日本にいたら絶対に経験できない事だったので、どんなに苦しい事ばかりでも、やはり私は行ってよかった!と言い切れます。そしてまた、別の国を目指して旅立つ日がいつか来るでしょう。新卒で就職する事も大切ですが、たとえデメリットがあっても若いうちに、世界へ飛び出して行こうとするのも若者の特権だと思っています。

                        08G 山尾深佳